メンテナンスというのは、気持ちを自由にすることであって、窓枠の埃をきれいにすることではない。
大阪の人は、やばくないですか、ではなく、やばないですか、と言う。この略し方も関東にいるときは知らなかった。
最近、自分の中にある「超自我機関SHU-TOME」に対し、ゲリラ軍が一挙に作戦を開始した感がある。
最近、ゴルフも、競馬も、麻雀も、やってみるべきだと思うようになり、いいものなんじゃないかと予想している。
僕にはホテルなどの「サービス批評」という関心事もあるのだが、サービスの真の本質は必ずしも丁寧さではない。そっけなさにサービスの奥義が隠されていたりする。
丁寧にすることの良さばかり言われるようになっているのが現代。それは心の難しいところを捉え損ねている。
他人が自分を雑に扱うことに癒されることがよくある。
ケアレスミスをしらみつぶしにしようとしない。
自分をケアしようとしないケア。ケアレスであること。
我々はそういう言語使用のアスリートとして仕事をしている。
まったく信条の違う人たちを共存させるスポーツの抽象性と同じような抽象性を持つ、それでも意味ある言葉のゲームというものもある。
スポーツの抽象性は、まったく信条の違う人たちを共存させる。
大谷翔平という人、初めて意識的にテレビで見たが、存在感に唸った。
まじで、優勝したんですね。それはめでたい。
街でニッポンニッポンと歓声が聞こえた。
「新潮」2月号掲載の千葉雅也さん「エレクトリック」やっと読めた。舞台は1995年の宇都宮。高校生の少年の、父親への憧れや同性への欲望の自覚などが描かれているんだけど、ラストのきつねにつままれたような感じがすごくいい…よく読んだ阿刀田高の短編を思い出した。
野球とは、対談なのか。
坂口恭平の仕事は、ひと言で言えばやはり建築である。オブジェと関係性のリズミカルな連合として建築を捉える。絵画や工芸的な「物」が連なって建築を成す。熊本への関わりも一種の都市計画として建築家の仕事であり、いのっちの電話は「生きる」ことを支えるという根源的建築行為である。
坂口恭平との三日間(2)|千葉雅也 @masayachiba #note note.com/masayachiba/n/…