Twitter 拾萬字鏡 JUMANJIKYO | 拾萬字鏡(JUMANJIKYO) / 2019年5月27日のツイート

以上から言えることは、辞書では、飯間氏の言うように「正しい日本語」の辞書を作ることはなかなか難しい。しかし、文法なら「正しい日本語」の文法を作る=学校文法の再構築は、可能性があると思う。「記述文法」を越えてそれに挑戦しなくては、日本語研究はその価値がないとさえ言えるのではないか?

飯間氏が、日本語の「誤用」は非常に定義しにくいという話題を連ツイされている。これは非常に同感なのだが、じゃ「誤用」がないなら、「正しい日本語」も存在しないの?という話になる。学校教育の文法を再定義するという課題を考えると、これは重大な問題だ。「正しい日本語」について考えてみたい。 twitter.com/IIMA_Hiroaki/s…

ことばについて、言語学(日本語学)のどの先生に質問しても、「それは誤用です」と言われることはほとんどないだろうと思います。「姿勢」ということばをあえて使うなら、研究者の姿勢は、結果的にことばに優しくなるわけです。「誤用」は定義できず、学問的にどうこう言うことができないからです。

言語学の初歩を学ぶと、「それは誤用だ」と断定することが難しくなります。「変化することこそがことばの本質だ」というのが基本だからです。「飯間さんはことばに対する姿勢が優しい」とも言われますが、べつに姿勢とか主義とかの問題ではなく、学問の基本に忠実に考えると、誰でもそうなります。

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書名正しくは「甬言稽詁」でした

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実際に呉語では「糟燒」「緑豆燒」などの「燒」の字は白酒の意味で用いている。

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飲料メーカーのサントリーが「焼酎」の語源を“中国では蒸溜酒を「焼いたお酒」という意味で「焼酒(シャオチュウ)」と表現”としているが《甬言稽古》の「釈食」によれば焼酒や焼酎の「焼」は やくという意味ではなく、本字は「醙(白酒)」でこの音が変化して「焼」字を当てているという説が出ている。