Twitter 胡夜 Mito_56tea | 胡夜(Mito_56tea) /「彰子」の検索結果

なお『源氏物語』執筆時の読者には常識だった史実を。
物語の中で光源氏の永遠の思い人である義母の呼称はもちろん「藤壺」。
そして、紫式部が仕えた藤原道長の娘・彰子が御所内で住んだ場所は、七殿五舎のうちの一つ「飛香舎」。この舎の異名こそ、庭に植えられていた花にちなんで「藤壺」でした。

そんな彼女にとって救いだったのが、最高権力者である道長の全力バックアップと、最初は頼りなさげだったものの無事男子を産み育て後宮を支えた彰子という盛り立てがいのある姫君の存在、そして「物語」の力でした。

これはまずい…と考えた道長は、彰子付きの女房に「文芸枠」を設けました。中宮定子-清少納言ラインの路線を踏襲したわけですね。その文芸枠女房の第一号が紫式部だったわけです。紫式部は、藤原道長が政権獲得のために王手を仕掛けた、その「詰めの一手」の最先端にいきなり立たされたわけですね。

そのため道長は彰子付の女房として、まず一流どころの娘たちを集めます。四位以上の貴族の娘に限って集めたのですが、しかしそういう連中はろくに働かないし貴族の男(当時の高級官僚)の相手も務まらない。彰子後宮の評判が落ちると、かつての定子後宮(清少納言が在籍)の評判が上がってしまう。

というのも、当時の政治的状況は、藤原道長が政権獲得に「王手」をかけている状況でした。一条天皇の後継者を巡り、故・中宮定子の息子が就くか、(道長の娘である)彰子が男子を産みその子が後継となるかで揺れている時期です。道長は、なんとしても一条帝を彰子になびかせたかった。