Twitter 胡夜 Mito_56tea | 胡夜(Mito_56tea) /「紫式部」の検索結果

つまり『源氏物語』とは、皇室の政争を色濃く反映した、究極のナマモノ同人誌だったわけです。
これまで何度か語ってきたように、紫式部はどちらかといえば内向的で、慎ましく、知識や技能をひけらかすことを嫌い、自分を厳しく律するタイプの女性だったと思います。少なくともそうした一面があった。

なお『源氏物語』執筆時の読者には常識だった史実を。
物語の中で光源氏の永遠の思い人である義母の呼称はもちろん「藤壺」。
そして、紫式部が仕えた藤原道長の娘・彰子が御所内で住んだ場所は、七殿五舎のうちの一つ「飛香舎」。この舎の異名こそ、庭に植えられていた花にちなんで「藤壺」でした。

加えて、紫式部はそんな「宮中で貴族の男を相手に立ち回る中宮付き女房」という自分を恥じる部分がありました。幼い頃、学者の父から「お前が女であるとは、なんと不幸なことか」と嘆かれ、「漢字の【一】も読めないふりをしてきた」という紫式部にとって、女房の仕事は過酷極まりないものでした。

しかし旧来の女房たち(しかも育ちのいいお嬢様軍団)は、そんな「文芸枠」を面白いと思うわけはありません。当然、就任当初は仲間内から白眼視されます。
しかも当時紫式部は、幼子を残して夫に先立たれたばかりの非常に不安定な時期でした。この頃、幼少期からの同性の友人も亡くしています。

これはまずい…と考えた道長は、彰子付きの女房に「文芸枠」を設けました。中宮定子-清少納言ラインの路線を踏襲したわけですね。その文芸枠女房の第一号が紫式部だったわけです。紫式部は、藤原道長が政権獲得のために王手を仕掛けた、その「詰めの一手」の最先端にいきなり立たされたわけですね。

FGO関連で紫式部先輩の情報がさらに求められているような気がするので(運営にはかなり詳しい人が監修についてるっぽい)、いくつか呟きます。
紫式部日記』と史実を重ね合わせてみると、紫式部はかなりつらく厳しい状況のなかで宮中に出仕していたことがわかります。

できました。対して紫式部は漢学者の家に生まれましたが、当時の「女は漢文なんて読めなくていい」「賢しらな女はあさましい」という価値観のもとで育てられてしまったので、勉強に興味あるし賢いし周りに学者もいっぱい居て教科書も沢山ある→自然と漢文覚える→はしたないと叱られる、の負のループに

なんか紫式部ディスりっぱなしみたいな感じになっちゃったから付け足すけど、同時代を生きた二人の才女の性格の明暗を分けたのは完全に生育環境だと思います。先祖代々「歌詠みの血筋」だった清少納言は、裕福な家ではありませんでしたが有名歌人の父親から漢文と文学の薫陶を好きなだけ受けることが

大好きな定子様とその局の美しさゆかしさ華やかさを表現し続けた、けして暗い影など匂わせず圧倒的な光のなかに中宮を置こうとした、それが彼女にとっての意地でありプライドだったのだ、

ということに紫式部が気付いたとき、始まると思います、恋が (清少納言はいつ実装されるんですかという絵文字)

紫式部はそういう清少納言の私すごいでしょセンスいいし頭いいし友達めっちゃ華やかだしーみたいなのを隠さず誇っていく図太さがめっちゃ嫌で、だから中宮定子が落ち目になっていっても通常営業でインスタ映えと面白短文発表しまくる清少納言を厚顔無恥で深みの無いお祭り野郎って馬鹿にしてんだけど

紫式部が愚痴アカに籠って呪詛を書き連ねて妬みのパワーで新作書くとき清少納言はインスタでお洒落スポット+盛れた自分&若手IT社長のツーショばんばん上げてるから!!!そういうの鼻に付くって人も多くて好き嫌い分かれるけど添えてある文章が面白すぎてメチャクチャフォロワー多いから!!!

あのねーーーサバフェス出るにしても紫式部は創作小説だけど清少納言はトイカメラで撮った写真集に短文付けたフルカラーエッセイだから!!!ジャンル全然違うから!!!なのに一方的に清少納言を意識して僻んで妬んで愚痴アカ作って独りで病むのが紫式部だから!!!そういう紫式部だからいいの!!!

紫式部引くために課金しまくる乙女を菅原孝標女と呼ぼう

よく「紫式部は清少納言のことをボロクソに書いていた」なんていう人がいるけど、そういう人はぜひ自分の目で『紫式部日記』を読んでみてほしい。現代語訳にも目を通して、あの日本文学を代表する作家がライバルのことをどう書いたか、ちゃんと確かめたほうがいい。わりと引くくらいのガチ悪口だから。

紫式部が「こいつ男だったら出世できたのに」って嘆かれた時代から進歩が見られない…
今2018年やぞ

作り話は嘘と同等とみなされ、平安の世では仏法に背く罪であった。紫式部が源氏物語を書いた罪で地獄へ堕ちたという話も、まことしやかに語られたな。物語を読んだり書き写した人間は、皆紫式部の供養をしたものだ。名の知れた者を挙げると、ふむ……毛利元就あたりか?

これは作者である紫式部先輩自身が藤原道長の「召人」だったのではないか、と推測される要因のひとつでもあるのですが、それ以上に源氏物語という作品において、「危うい関係に悩み苦しむ人がいて、その人には名前も声もあるんだと知ってほしい」という願いが込められているからだと私は思っています。

はい、ご承知の方も多いでしょう。『源氏物語』です。紫式部先輩は、この(多くの場合)名も無き、(主人と自分の性欲のみという)不安定な関係のうえに危うく成り立つ「召人」に、源氏物語の中では名前とセリフと役割を与え、重要キャラを責める和歌まで詠ませています(『真木柱』や宇治十帖)。

ついでなので、紫式部先輩から学んだ人生訓はこちら。
・恋愛のドロドログダグダも表現が美しければ千年残る
・どれだけ容姿端麗でどれだけ社会的地位が高くても、心が弱くて執着心の強い異性に引っかかると命に関わる
・「リア充ムカつく」も立派な芸になる
・日記はあとに残るので気をつけろ