大きなホモソーシャルに対してルサンチマン抱えてる小さなホモソーシャルの構成員が、女に対して攻撃性を発揮するときって往々にしてああいう……ああいう感じになるよね(映画秘宝のDMの件)


「ホモネタ」を喜んで弄びながらBLに攻撃性を示すってかなりわかりやすくて、ホモソーシャルで手綱を握っておける表現か否かってところがポイントなんですよね
福山雅治はホモソーシャル家父長制の中で""""承認する""""側の男だから我々のなかでは"世界の果て"みたいなもんですからね

それにつけても、「ホモソーシャルって、内部でホモセクシュアルに別の名前をつけて隠蔽してるだけですよね?」を堂々とやる作品、清々しいね。

MIU404の男二人の良いところ:女をナメる形でのホモソーシャル絆表現がほぼない
恐らく若い子だと思うけどホモソーシャル内でのホモフォビアほど害悪なものはないので早めに解放されてください

@enemiti それですわ! >ホモソーシャルにおけるホモフォビア
学生オタクが校内放送でアニソンとかキャラソンとか東方とか流す現象が観測されてきた頃ですね(比喩であり実態)

@010rayto000 確かに役割の固定ってホモソーシャル、ひいては家父長制の維持に欠かせない要素ですね。怖いのが、個人が意識的に「ルールを維持しよう」と選択しているわけではなく、空気や風潮といった曖昧かつ強力なものに従うと自然とそうなるという仕組みですわ……

BLはダメだけど「ホモネタ」は許すどころか積極的に弄ぶクソ態度、あれは「ホモネタ」である限りは権力をホモソーシャルの側で握っておけるからなんですよ。女の作ったBLはそうじゃない。

ホモソーシャルがBLを拒絶すればするほど「なるほどね……ここに突破口があるわけね」と思わされる。

いわゆる「百合無罪」って、そこに映ってるのが女である時点でホモソーシャルを脅かしようがない(と思い込んでいる)ので「無罪」ってことなんでしょうね
ホモソーシャルはトロフィーを用意してくれるから一見努力に対し報酬をくれる=親切に見えるのだが、その努力の評価基準はそのホモソーシャルの家父長次第でしかなく、正当に努力が評価されることもトロフィーが用意されることもない。というのかなりタージマハルの衛兵ではハッキリ描くなぁと。

私の注視している男性俳優の一人も、カンフェティのインタビューで風俗の話をするというホモソーシャル最悪しぐさをやらかしてんだけど、ほんと「そういうの語っちゃうのがカッコイイ、それが面白い」っていう培われてきたノリ、ノリと呼ぶには邪悪すぎるもの、これに恭順しない。肯定しない。

@dhavajdnf これはこれで「同じオカズを共有してはしゃぐほうが楽しい」みたいなホモソーシャルしぐさなのかもしれませんが……

こういう現象全部「ホモソーシャル」で説明できるからイヴ・セジウィックはすごい。
家父長制に見放された男の子概念、家父長になりたいのになれない鬱屈でホモソーシャルに染まり、しかしその途中で自分が真実求めていたのは権力ではなく、権力が疎外した愛を取り戻すことだった、と気付いて家父長制をおりる、解体する男性キャラクターのこと(持論展開)(正気正気)
そうか そういうことだったのか 俺たちは「シャーロック」に常に「男と男」を見出そうとしていた しかし制作側はシャーロックという究極のホモソーシャル題材に蔑ろにされていった名もなき「女」達の声を掬いあげようとしていたんだ…(名推理顔)
いやこれわりとガチな話で、ホモソーシャルにおいて「男と仲の良い自分」「男と絆を結んでいる自分」をアピールするのはしばしば強者アピールなので、何も考えず萌えて称揚してたらホモソーシャルの“勝者”を持ち上げる結果になりかねないとか思うんすよね

ホモソーシャル批判としての男気ジャンケンについて考えている

ホモソーシャル内で男の承認を得たいけど、「救い」「赦し」みたいなものは女から得たい……みたいな態度しばしば目にする。そんな急に来て別腹扱いされたり嘆かれたりキレられたりしても困る

『県警対組織暴力』、本当は男が男のことを心から思ってるのに、その心のままに行動することはできないから、女に「あいつの面倒を見ろ」と命令する場面が出てきて……ホモソーシャル……

現実離れした描写や演出によって現実を照射し、特にシビアなホモソーシャルを自覚的に描いている作品が観たい、そこで互いに傷つけあったり手を取り合ったりする男たち出来れば中年男性たちの姿を観たい、という欲望を抱いてきた私なんですが、映画『七つの会議』ってほんとドンピシャだったんだなあ。

ホモソーシャルにおいて「正常な男」ではない男はしばしば「女」と呼ばれる。

登場人物の九割五分がおじさんである映画『七つの会議』がウテナだったことからもわかるように、男性社会、ホモソーシャルが締め上げるのは非男性と男性の両方なんですよ

『七つの会議』と男性社会、ホモソーシャルを絡めた感想や批評を読み漁りたい。無邪気なまでに徹底した“男の世界”を映画化の際に逆手に取って、原島(及川光博)をホモソーシャルに浸りきっていない造形にして、女性の浜本(朝倉あき)と探偵コンビにしたことは効果的だったと思う。