Twitter 西澤健一 kenichiz | 西澤健一 (@kenichiz) のツイート

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西澤健一@kenichiz

どれくらいどのように違うケースだったのか、なんて説明は、何の役にも立たない。「何の役にも立たない」という立場に立たないと、話は進まない。

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ある程度以上の世代のヨーロッパ人には、チェルノブイリの記憶が生々しくある。ソ連がどんな対応をしていたのかも。自身の体験した記憶を払拭するのは難しい。そうした記憶の延長線上で、彼らは我々のことを見ている。

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6月、スウェーデンにて。とあるおばさまと雑談していたとき、「シェノービル原発の事故を知っているか」と訊かれた。話を聞き進めていくうちに、だんだんシェノービルはチェルノブイリ(の瑞語読み)だということが分かってきた。「ああ、それなら覚えています!」

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旧仮名に戻すのはもう無理だろうけど。助詞「は」「へ」以外のハ行の廃止とか、伊語仏語から読まない「h」を全部取っちゃったような話だから、かなり乱暴なことをしたというところは、覚えておきたいところ。

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小学校とかで日本語の発音を勉強しないでしょ。それ、我々の外国語がニガテな理由の一つだと思うのですよ。

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ここで出す例にして良いのかどうかはちょっと置いて、玉音放送。「堪ヘ難キヲ堪ヘ」の「ヲ」は「wo」で発音してるし、「失フ」は「うしなう」ではなく「うしなふ」で発音してるし。文字が減ってたしかに発音も変わったのが、よく分かるのですよ。

自分の気に入った現実をすべて「カワユイ」一色で塗り潰してしまう。そんなことをしていると、現実Aと現実Bとのちがいがわからなくなる。現実をコトバという鋭利な庖丁で腑分け(これを認識という)することなしにどうやって生きていけるというのか。

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僕本人が地味なだけで(繰り返す)

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何だかんだで、ありがたいことに、僕の作品は豪華な奏者に恵まれてるんですよね…。僕本人が地味なだけで。

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台風の夜に書き上げたトリオ。先ほどクリストフ・ハルトマン氏(ob)に渡してきました。マティアス・ラッツ氏(fg)とともに初演してくれる予定。 pic.twitter.com/pXyId3oi1R

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書いているときは「…シンプル過ぎるかなぁ」と心配したりするのだけど。書き終わって楽譜を奏者に渡して「ちょっと初見で音出してみようよ」と言われたときに、はじめて気付く。なにこれめっちゃムズイ、と。

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地方で地道に信頼を築いてきた演奏家だったら、自分のお客さんに何を聴かせても喜んでもらえるのです(理解してもらえるかどうかは、練習次第)。だから積極的になって欲しいと、東京生まれ埼玉育ち東京住みの僕としては、思うわけでして。

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@yukoshibuya92 お、お、お気になさらず!😵

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何を聴かせても受け取ってくれない面倒くさいタイプって、むしろ東京(中央線沿い)に住んでる印象。

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僕、作曲家じゃないですか。皆さんの知らない曲どころか僕だって知らない曲ばっかり書いてるじゃないですか。でも、地方で新作を披露して面白がってもらった経験、ちゃんとあるですよ。聴かせれば聴いてくれるの。で、受け取ってくれるの。そういうものなの。

「田舎でそんな曲やってもお客さん入らないよ」
と言われたとき、その方の本意が

①お客さん入らないよ
ではなく

②(私は)そんな曲知らない
であることに気がつかず空回りした麗しい思い出。

地方などでよく聞く「どうして《運命》や《新世界》ばかりなんだろう」という疑問の答えの一つは、シンプルに「主催からリクエストが来るから」。

意欲的な曲が受け入れられない理由にはもちろん集客面の考慮が多いが、もっと単純に「企画者が他… twitter.com/i/web/status/1…

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人が考えるということには、どうしても言葉の制約がある。どうやっても言葉を使って考えるしかない。その考えるための肝心の道具が折れたり汚れていたりしたら、たとえどんなに善良な人がどんなに頑張ったとしても、間違った答えしか出てこない。

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ここ最近の問題って、誰が悪いとかじゃなくて、実のところ全て言葉の問題なんですよ。言葉を粗末に扱ってきた成れの果てということ。で、言葉は確かに復讐します。言葉が復讐するときは必ず実体を伴うので、怖いですよ。

この国は詩人を尊敬しない。照準が定まらないふわふわした言葉を見るや「ポエム」と呼んで揶揄するような国だ。だからこの国の人は言葉を粗雑に扱って恥じない。でもな大事なことを教えておこう。言葉というものは人が忘れたことをずっと覚えている、忘れた頃に言葉はこの国の人へ復讐しに来るのです