Jaroslav Rössler|Photographs
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「作者はこの作品でなにを伝えようとしているのか?」といった意味解釈への批判を、僕も長らく述べてきた。しかし、これがなかなか無くならない。今回、その問題についても『広告』誌に書いた。

「小説について語るために必要なことは、ピッチャーとバッターの一球一球のかけひきと同じことが、書き手と書かれた文章のあいだで起こっているということをきちんと示すことなのだ。そのかけひきなしに作品の構図や世界観を提示しても小説にはならない。」保坂和志

「書かれたことが葉となって生い茂っているために幹の姿が想像できないのが小説で、葉が生い茂っている木があったらその奥に幹があることを期待するのが人の思考の生理というものだが、小説は木ではないのだから幹が奥にある保証なんかどこにもない… twitter.com/i/web/status/1…
中島智さんの寄稿された文章が最後に載っています。中島さんの『文化のなかの野性 芸術人類学講義』も合わせてぜひどうぞ。 twitter.com/niwabunko/stat…

原因の前に立ち尽くすこととは、わからなさがわかることである。既存の、恣意的なストーリーに何もかも包摂しないでいられることである。AI的知性は「昔はわかってなかった」と認識したところで充足し、思考停止する人間を模倣している。「ゆえに今もわかってないのだろう」という省察には至らない。

理由とは手前勝手に、恣意的に、選択された(もしくは捏造された)ストーリーにすぎないけれど、原因というのは計測不能な、深潭のような下意識に、どこまでも遡るものである。だから理由は信じられないし、原因を語れる術などもてない。AI的知性… twitter.com/i/web/status/1…

Max Burchartz/Kate Steinitz
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Weegee (Arthur H. Fellig)|Photographs
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「僕が卒業したあとの『広告』がどうなるかは未定だそうです。そして、卒業したあとの僕自信が何をするかも未定です。ほかの仕事をそっちのけで全力を投じていた『広告』が終わるので、ぽっかりと時間が空きます。なにか誘ってください。」『広告』… twitter.com/i/web/status/1…

『広告』最新号(特集:文化)、本日発売
note.kohkoku.jp/n/n571eb6b1da7e
「今号はこれまででいちばんの大作で全部で35記事、1100ページ、44万字あります。今回の表紙は、1冊1冊色味が異なる「赤」のグラデーションで… twitter.com/i/web/status/1…

世間ではよく「自由で独創的な表現」と言うけれど、個々の表現というものは個々の制約から生まれるものだ。ゆえに正確には「個別(自ら)の制約を味方にした表現」なのである。

もしヒトに制約がなかったとしたら、たとえば作品制作もできなくなる。事物が事物としてカタチを得ることが適わなくなる。だから「限界を感じる」ということはクリエイティブなことなのだ。それが実際、何かしらを生みだす必要条件だからである。クリエイティビティは無からでなく、制約から生まれる。

あらゆる物事には限界がある。これを「当たり前じゃないか」と思考停止しないで「じゃあ、どうすればよいのか」と考えていくと、「◯◯には限界がある」というその限界こそが、◯◯を成立させ、享楽させ、持続させている原因であることが視えてくる。制約によってしか存立しえない事物性が視えてくる。

気軽に、最初の印象だけでよいので、とにかく模倣してみることが重要である。その記憶違いも、なにを視ていたのかを教えてくれる。そして技術の違いもはっきり視えてくる。そして技術と不可分な行為の違い、その行為の違いによる情動の違いもはっきり視えてくる。身がさねはじつに豊饒。

写真作品の肌感に惹かれて自写像を試みるが、まったく凡庸な別物になってしまうという経験。この失敗経験を重ねていくことは、写真鑑賞への解像度を幾ばくか上げていく近道である。 pic.twitter.com/SxhaP8XpYl

ぶらぶらしたい時節なので自転車を新調した。すこしスピードが出るタイプ。慣らしに夜の河辺をサイクリング。真っ暗なサイクリングロードでは速度感覚はなくなる。左右のすこし離れたマンション群の灯りだけがゆったりとながれていく。走馬灯のように。闇くもに闇に包まれていく懐かしさ。

@masako_toda 自身の子供時代を憶えている人と、忘れてしまう人、その違いって何でしょうね。

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